「珠せいろ」のムシしちゃいやよ牡蠣ストーリー vol.07
牡蠣が一切出てこないのにタイトルが「牡蠣」???
国民的女流作家の名作小説。
国民栄誉賞を受賞した女優、故・森光子さんの主演で有名だった舞台「放浪記」。森さんの「でんぐり返し」がハイライトだったこの名作舞台が今年の10月から、仲間由紀恵さんの主役で再演されることが話題になっています。
仲間さんがでんぐり返しをするかどうかは未定とのことですが、あの名シーンもぜひ復活してほしいところ。
さて、この「放浪記」を書いたのが、国民的女流作家の林芙美子(1903-1951)。
自伝的小説「放浪記」は昭和5年、彼女が26歳の時に出版され、若い女性が根無し草のように点々と職業を変えながら、東京という大都市の中で生きていく、その健気で、そしてたくましい姿が多くの読者の心をとらえベストセラーになりました。
ところで、この林芙美子に「牡蠣」という短編があります。
昭和10年に発表されたものですが、それまでの自伝的な作品、私小説から離れて、客観小説の時代へと向かう足がかりになった作品として、当時、高い評価を得ました。
主人公は周吉。周吉は日本橋横山町にある袋物問屋の袋物職人で、それも安物専門の煙草入れなどを縫う職人でした。
前職の船大工時代に頭を打ってしまい、それ以来「脳が悪い、脳が悪い」が口ぐせ。脳神経の売薬の常用者となり、仕事にも集中できず、不安症から電車に乗っても苦しくなる状態。
折りしも工場による大量生産時代への転換期、時代の流れから徐々に取り残されてゆき、次第に精神を病んでしまう、生きるのが下手な男の暗い現実を描いています。
さて、この国民的作家のエポックともなった「牡蠣」という小説、作中のどこにも牡蠣が出てきません。牡蠣という言葉も、牡蠣そのもの、です。
おそらく口の重い、不器用な主人公をシンボリックに牡蠣にたとえたのでしょう。
牡蠣が出てこない小説に「牡蠣」というタイトルをつけた林芙美子。ひょっとして彼女、大の牡蠣好きだったのかもと考えたらうがちすぎでしょうか。
牡蠣好きならば、書きに書き、47年の生涯をエネルギッシュに駆け抜けた一生も納得できるというもの。
もし今の時代に生きて、新時代の蒸しかき「珠せいろ」を食べたら、その手軽さ、美味しさに、思わずでんぐり返ししたかもしれませんね。